2023年5月21日日曜日

OS更新切れのChromeBookに最新ChromeOSをいれてみた

 中古PC店にジャンクをあさりに行ったら、Chromebookが2000円弱で投げ売りされていたので購入。投げ売りの理由は、OSの更新が2022年6月に切れていたのだった。

機種はDell Chromebook 11 3820というもの。スペックが貧弱なので、最新のChromeOSを入れてやることにした。

ChromebookのBiosをOpenCoreBootに変更するとPC用のOSがインストールできるとのこと。ただしBiosの書き換えには書き換え保護ネジを外す必要があるとのこと。
裏蓋を外して、WPと書いてあるネジを探して取り外す。

https://mrchromebox.tech/#fwscript

からBios書き換え用のスクリプトをダウンロードするのだが、スクリプトを動かすためには「開発者モード」にChromebookを設定する必要がある。

Chromebook 11 3820では、パワーON時にESCとF3(回転マーク)を同時に押してブートして、さらにCtrl+Dで開発者モードに入れる。

開発者モードでターミナルを立ち上げて、Ctrl+Alt+Tでcroshに入り、さらにここでshellと打ち込んでからBios書き換えスクリプトを実行すると下のような画面がでる。

ここで2番を選ぶとOpenCoreBootが書き込まれる。これで通常のPCと同様にUSBメモリからOSを起動できる。起動時にうさぎのロゴが表示されるはずである。

PCにChromeOSをインストールするには、ここを参考にした。

https://smartasw.com/archives/8849

Linuxは何でも良さそうだが、Live起動できるイメージが必要である。LinuxのLiveイメージを起動して、ネットワークを接続し、terminalからsetup.shを起動する。

ここではsetup.shというスクリプトを書き換えて、ChromeOSのインストール先を/dev/mmcblk1にしておくこと。でないとUSBメモリにChromeOSがインストールされる。

BrunchとChromeOSのバージョンはどちらも合わせておくこと。今回はR111を使った。ChromeOSのイメージはrummsuを選択した。OSの更新が長く行われるものを選ぶと良い気がする。

USBからのインストールが終わり、Chromebookを再起動するとBrunchが起動しファイルシステムの初期化だので20分ほど待たされる。その後ChromeOSの起動画面が出たら通常のChromebookと同様に設定して使用する。

このChromebookのスペックがしょぼいので、AndroidアプリやLinuxアプリは使用できるが速度が遅く、ディスクがすぐ足りなくなる。Linux上ではwineも動くので、Windowsアプリもものによっては動く。

設定のChromeOSについてを確認すると、2026年まで自動更新が行われるとある。もうしばらく遊べそうである。

2023年4月10日月曜日

激安中華FPGAでPC8001mを動かしてみた

 以前買った激安中華FPGAでPC8001mを動かしてみようとふと思い立った。

当時3000円程度で買えたが、VGAポートやPS/2ポートもついていた。

安いのには訳があって、ロジックエレメントが10Kしかなく、メモリブロックも少ないのであった。

 昨今FPGAで古のコンピュータを動かす試みがあって、昔あこがれたPC8001を模倣するPC8001mを試してみることにした。

Githubからソースを落としてQuartus Primeで読み込んでFPGAをEP4CE10E22C8に指定してビルドしてみた。

 Fitterでメモリブロックが足らないといわれたので、素直にramを減らしてゆくとビルドが通るようになった。

ピンを配置しようとして、RGBが各4本で書かれていることがわかった。すったもんだしてRGBの配線を各一本に減らすことができた。

     assign vga_b = mode ? 1'b0 :
                        hvalid2 & vvalid2 & lb_out[3] & lb_out[0] ? 1'b1 : 1'b1;
    assign vga_r = mode ? 1'b0 :
                        hvalid2 & vvalid2 & lb_out[3] & lb_out[1] ? 1'b1 : 1'b0;
    assign vga_g = mode ?
                        ( hvalid2 & vvalid2 & lb_out[3] ? { lb_out[2:0], 1'b1 } : 1'b0 ) :
                        ( hvalid2 & vvalid2 & lb_out[3] & lb_out[2] ? 1'b1 : 1'b0 );                
(crtc.vの440行目あたり)


これで何か出るかなとVGAモニタをつないでみると、何やら文字が出た。


 文字が表示されているがなにやらおかしい。メモリを削りすぎたようだ。

 職場にオリジナルのPC8001mで使われていたDE0-CVがあったので拝借してメモリをどこまで減らしてもBasicが起動するか確かめたところ、8kBまでは起動した。

現状メインメモリは2kBしかないので、どこかから拝借してくる必要がある。

ソースをよく見てみると外部ROMに結構容量を取られていることがわかったので、これを使わないようにして、メインメモリを8kBにしたところ、n80Basicが起動した。

 
 

いろいろ削ってメモリブロックの使用率が80%台になったので、この基板で起動できた。

やれやれw

2023年1月22日日曜日

もうひとつの「ニッポンカメラ」を追って

 ニッポンカメラといえば、戦中期に開発された国産ライカコピー「ニッポン」が有名である。(例えば、森亮資氏による研究を参照いただきたい)

だが、戦前にもう一つ、「ニッポンカメラ」と呼ばれたカメラが存在したことをご存知だろうか。

昭和11年(1936年)、「アマチュアカメラ」誌4月号の水野写真機店広告を始まりとして、当時の雑誌、書籍で広く宣伝された「ニッポンカメラ」がそれである。

ニッポンカメラ広告(アマチュアカメラ 1936年4月号)

 当時としては意欲的な1/1000sまでのセミ判フォーカルプレーンシャッターを持ちながらも、国産35mmフォーカルプレーンカメラのハンザ・キヤノンの半額程度の価格で販売されていた。

ニッポンカメラには少なくとも2つの形態があったようである。ここでは古いものを前期型、より新しいものを後期型とする。


ニッポンカメラ前期型(左)と後期型(右)

当時多くの宣伝がおこなわれたにもかかわらず、現存するニッポンカメラはこれまで知られていなかった。

2018年2月、森亮資氏がFacebookのOld Camera Freakグループで20枚ほどの写真を公開するまでは。 

ニッポンカメラ(前期型)の写真(粟野幹男氏旧蔵資料、森亮資氏提供)
 
この写真は著名なカメラコレクターであった粟野幹男氏が残した膨大な写真を森氏が整理中にみつけたものだが、現在このカメラの所在は不明である。

○ 広告に記された特許と実用新案をさがして

ニッポンカメラの広告には、二大特長として「レンズと連携した距離計」、「独創的設計の巻取装置」があり、それぞれ実用新案、特許が出願中とある。

 

当時の広告(アマチュアカメラ 1936 年 10 月号)中の特許、実用新案に関する記述

これらの記録が現在も残っていないか、J-Platpatで確認した。

ニッポンカメラの写真に残されたフィルム巻取りノブの形状は特徴的なものであり、この写真の形状に酷似したフィルム巻取りノブの特許を見つけることができた。


特許123000号記載の図と実機のフィルム巻取ノブの比較


  • 巻取ノブの半分が持ち上がり、取っ手となること
  • 巻取ノブの下部に、フィルム枚数を示す数字と矢印があること
  • この特許がフィルム自動巻き止め機構のものであること

以上から、特許 1230000 号はニッポンカメラのフィルム巻取ノブを表したものといえよう。

特許の発明者は、奥住孝太郎、特許権者は皆川義郎、出願は昭和 11 年 5 月 12 日である。

また、奥住氏は昭和 10 年 7 月 12 日に距離系連動機構の実用新案も出願している
この実用新案(昭和 11 年実用新案公告第 6305 号)もニッポンカメラのものである可能性が高い。
 

奥住孝太郎考案の距離計連動機構 (昭和 11 年実用新案公告第 6305 号)

 

なお、発見されたニッポンカメラの軍艦部の写真には K.O. CAMERA WORK と刻印されているが、奥住氏のイニシャルも K.O.である。


○ 奥住孝太郎氏についての記録
 
当時の記録を探すと、昭和13年度版全国工場通覧に昭和光器製作所の代表として同姓同名の人物の記載があることが判明した。【品】写真機 との記載もあり、ここでは写真機を製造していた可能性が高い。
昭和13年度版全国工場通覧における昭和光器製作所の記載(p.750

また、工業仕入案内:本社調査 昭和12年度版には同じ住所に昭和光「機」製作所の記載があり、ここには「パテントニッポンカメラ」の記述がある。

工業仕入案内 : 本社調査 昭和12年度における昭和光機製作所の記載

 

○ 第三のニッポンカメラ?

奥住孝太郎のニッポンカメラと考えられる特許の特許権者は皆川義郎、戦前期の国産カメラ、ファーストカメラ(製造元は栗林:後のペトリカメラ)の販売元であった皆川商店の代表であった。

当時配布されたファーストカメラの公定価格表にも「ニッポンカメラ」が記載されたものがある。

 ファーストカメラ公定価格表に記載されたニッポンカメラ

 ところが、このニッポンカメラに搭載されたNヒットはレンズシャッターであり、フォーカルプレーンシャッターのニッポンカメラとは別物と考えられる。当時の官報にも記載があることからも第三のニッポンカメラが存在した可能性がある。
 
官報(昭和15年12月18日)における皆川商店のニッポンカメラの記載
 
 
水野写真機店のニッポンカメラ(他の戦前期のセミ判国産フォーカルプレーンシャッター機も同様と言えるが)はシャッターの機構に問題があったことが当時の文献にも指摘されており、これを解決するためにレンズシャッターのニッポンカメラが作られたのではなかろうか。
 
「ニッポンカメラ」の謎と空想は更にふくらんでゆくのである。
 
○ 謝辞
 
水野写真機店のニッポンカメラの写真を公開された森亮資様、本稿の公開をご快諾いただきました萩原(森)ゆかり様に感謝いたします。