ニッポンカメラといえば、戦中期に開発された国産ライカコピー「ニッポン」が有名である。(例えば、森亮資氏による研究を参照いただきたい)
だが、戦前にもう一つ、「ニッポンカメラ」と呼ばれたカメラが存在したことをご存知だろうか。
昭和11年(1936年)、「アマチュアカメラ」誌4月号の水野写真機店広告を始まりとして、当時の雑誌、書籍で広く宣伝された「ニッポンカメラ」がそれである。
ニッポンカメラ広告(アマチュアカメラ 1936年4月号)
当時としては意欲的な1/1000sまでのセミ判フォーカルプレーンシャッターを持ちながらも、国産35mmフォーカルプレーンカメラのハンザ・キヤノンの半額程度の価格で販売されていた。
ニッポンカメラには少なくとも2つの形態があったようである。ここでは古いものを前期型、より新しいものを後期型とする。
ニッポンカメラ前期型(左)と後期型(右)
当時多くの宣伝がおこなわれたにもかかわらず、現存するニッポンカメラはこれまで知られていなかった。
2018年2月、森亮資氏がFacebookのOld Camera Freakグループで20枚ほどの写真を公開するまでは。
ニッポンカメラの広告には、二大特長として「レンズと連携した距離計」、「独創的設計の巻取装置」があり、それぞれ実用新案、特許が出願中とある。
当時の広告(アマチュアカメラ 1936 年 10 月号)中の特許、実用新案に関する記述
これらの記録が現在も残っていないか、J-Platpatで確認した。
ニッポンカメラの写真に残されたフィルム巻取りノブの形状は特徴的なものであり、この写真の形状に酷似したフィルム巻取りノブの特許を見つけることができた。
特許123000号記載の図と実機のフィルム巻取ノブの比較
- 巻取ノブの半分が持ち上がり、取っ手となること
- 巻取ノブの下部に、フィルム枚数を示す数字と矢印があること
- この特許がフィルム自動巻き止め機構のものであること
以上から、特許 1230000 号はニッポンカメラのフィルム巻取ノブを表したものといえよう。
特許の発明者は、奥住孝太郎、特許権者は皆川義郎、出願は昭和 11 年 5 月 12 日である。
また、奥住氏は昭和 10 年 7 月 12 日に距離系連動機構の実用新案も出願している
この実用新案(昭和 11 年実用新案公告第 6305 号)もニッポンカメラのものである可能性が高い。
奥住孝太郎考案の距離計連動機構 (昭和 11 年実用新案公告第 6305 号)
なお、発見されたニッポンカメラの軍艦部の写真には K.O. CAMERA WORK と刻印されているが、奥住氏のイニシャルも K.O.である。
また、工業仕入案内:本社調査 昭和12年度版には同じ住所に昭和光「機」製作所の記載があり、ここには「パテントニッポンカメラ」の記述がある。
工業仕入案内 : 本社調査 昭和12年度における昭和光機製作所の記載
○ 第三のニッポンカメラ?
奥住孝太郎のニッポンカメラと考えられる特許の特許権者は皆川義郎、戦前期の国産カメラ、ファーストカメラ(製造元は栗林:後のペトリカメラ)の販売元であった皆川商店の代表であった。
当時配布されたファーストカメラの公定価格表にも「ニッポンカメラ」が記載されたものがある。
ところが、このニッポンカメラに搭載されたNヒットはレンズシャッターであり、フォーカルプレーンシャッターのニッポンカメラとは別物と考えられる。当時の官報にも記載があることからも第三のニッポンカメラが存在した可能性がある。
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